故・武間享次先生の思い出

Posted by on 6月 16, 2010 in 年間行事 2010

訃報  
ニューヨーク同志社会設立者のお一人であり、ニューヨーク同志社会の終身顧問であった 武間享次先生が2010年6月16日に天に召されました(享年84歳)ことをここに謹んでご報告申し上げます。 み霊の平安とご遺族の上に神様の豊かな慰めがありますようにお祈りいたします。
(ニューヨーク同志社会 会長 渡邊 潤)

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故・武間享次先生(1926-2010)
1926年(大正15年)京都に生まれる。
同志社神学部卒業後アメリカに渡り、エール大学大学院でキリスト教神学と文化人類学を専攻。この間バーモント州の教会で牧師を務める。1955年エール大学大学院卒業と同時に米国長老派教会全国本部の青年部世界交流の主任主事に就任し、世界各地を歴訪、青年指導者の育成・交流にあたる。1973年同本部の副総主事に就任、組織の企画・運営に携わり、日米両国民の交流・相互理解のための種々のプログラムの計画、指導を行う。1988年組織を勇退し、ブマ・アソシエイツを設立、異文化、地域社会関係、特に日米の人間関係・社会関係のコンサルタントを始める。(著書「戸籍のない国アメリカ」より参照)

1975年に武間先生は当時日本航空米州営業部長の故伊藤恒氏らとニューヨークで活躍されている卒業生のためにニューヨーク同志社会を設立されました。1985年にはニューヨーク同志社会の顧問となられ、毎年の年次総会では同志社本部と私ども支部とのつながりを強め、新島襄先生の同志社設立の精神にも触れていただきました。一方長年の日米の架け橋としての貢献に対し、日本の外務省から表彰されました。

お母様の武間冨貴様は、新島先生を支援された大沢善助翁(曾祖父)大沢徳太郎様(ご尊父)のご家系でありました。冨貴様は同志社の卒業生で同窓会会長を長年にわたってご奉仕され、その後は105歳で天寿を全うされるまで同志社同窓会名誉会長をされました。ご遺族の宣子(のぶこ)夫人も同志社女子大で学ばれ、ニューヨーク同志社会の会員でいつも先生とご同伴でご出席頂きました。お子さんは2男1女で皆さんアメリカにお住まいです。

<武間享次先生の思い出>
ずっと昔のことです。私が同志社女子高校生だったころすでに享次先生は大学生でいらっしゃいました。ご夫人の宣子さんは同志社教会の聖歌隊で一緒に毎日曜日の礼拝で歌っていた仲間でした。先生はエール大学に留学、ご結婚され ニューヨークで新居を構え 精力的にキリスト教のお仕事に励んでおられる頃マンハッタンのアパートにお訪ねし、かわいい男の赤ちゃん(ご長男)とともに楽しいひと時を過ごさせて頂きました。私もアメリカで大学院を終えて、京都へまもなく帰国するときでした。時は流れ、私どもが家族4人で1979年にニューヨークへ来ることになりました。東京YMCAからこちらのNew York YMCAと提携してのパートナーシップの初代のDirectorに招かれた主人の仕事のためでした。 先生には設立当初からいろいろご助言を頂いたり、私どもの1年に一回の大事なFund RaisingのAnnual Dinnerにご出席頂き開会の祈祷をしていただいたり思い出はいっぱいです。

武間家の皆さんと私の祖父(牧野虎次)及び両親(塚本)は長い親交の間柄です。私の両親は京都の洛陽教会でずっとご一緒でしたし、私ども家族は東京に住んでいるときは享次先生のお兄様の武間謙太郎先生の中目黒教会に属していました。キリスト教の信仰を基盤にした同志社ファミリーの一員でもあることを大変幸いなことと感謝しています。                  本間恵美子(ニューヨーク同志社会名誉会長)